父親の肺がんが見つかった。
母親から知らされたのが、年末。
患者としては、ほんとに不運なことなんだけど、病院にだって年末年始はやってくる。
つまりは、一週間は何もやりようのない時間がやってくるわけで。その間は、何もできなくて、ほんとにもどかしい時間としかいいようがない。
ただ、症状はないし、どうしようもないから、ただ、日々を過ごすしかやりようもなくって。
あとは、一週間という時間が、がんの進行からしたらどういうった時間軸なのか、正直わからないから、その時は自分ものんきに病院の検査が始まるまで待っているほかなかった。
それが、文字通り命取りになるなんて思いもしなかったんだけど。
今のところ、命は取られてないんだけどね。
で、12月20日ごろの状態はというと、肺に影が映った。もしかしたら、肺がんなのかもしれない、というのが、心筋梗塞をやったあと、かかりつけになっている町医者の話だった。
なので、総合病院に紹介状をかいてもらって、すぐに精密検査をすることになるわけなんだけど。
といっても、それが、おそい。
年末年始で病院が動かないから検査が年明けって。
1/7にしかできないって。2週間放置かよ!
よくドラマで、検査とかさっさと済ませて、さぁ、オペするぞってのは、やっぱりドラマの中であって、現実は、こうももたもたするものなのか、っていうがちょっと、どころか、かなりじれったい。
この後で知ったんだけど、
「年寄だから、がんの進行は遅い」
っていうのは、何の根拠もないことだった。
色々調べてみると、がんの種類、によってその進行速度が違うのであって、年齢によるものではないらしい。
正直、この時点では、
検査、おっそ!
とは思ってたけど、年寄だから、まぁ、ゆっくるなんだよね、っていう油断があったのは、間違いない。
それは、家族全員にいえることで、おやじ自身も、そう思ってた。
そうはいっても、年末年始は、どう思っていようが来るもので。
いつも通りだったかな。
大みそかには、恒例のすき焼きがあって、家族全員が集まる。
二人の兄貴家族と、自分たちと、そこそこの人数だね。
毎年、うちの家族だけはお泊り。実家から若干遠いから。
兄貴二人は、実家から車で10分かからないとこに住んでるから、そのまま帰宅。
そのな感じで、ここ10年くらいのルーティーン。
で、年が明けて、雑煮に、ちょっとしたおせち。
大みそかの夜も集まるんだけど、当然新年集まって。
子供たちへのお年玉交換が始まるわけだ。
もう就職した甥っ子たちは、お年玉を上げる側に回ったりする。
自分たちが子供のころは、母親の実家だけで、おじさんおばさんが6組みに、爺さんばあさんもいて、お年玉袋の数がものすごく多かったけど
今の時代、兄弟が少ないから、ちょっと寂しいな、って思ったりする。
それでもうちは三人兄弟だから多い方なのかな。
テーブルも、大広間にズラッと並べて、人がいっぱい。
だから、「サマーウォーズ」の家族が集まるシーンが、すごく懐かしく思ってしまう。ちょうど、同じように山もあるような田舎だったしね。
今は、こじんまりしちゃっているけど、集まれば、それなりににぎやかになってる。
昔も今も、一応おせちが出てきたりはする。
ただ、年のせいか、年々縮小されている気はするけど。
それでも、スーパーのオードブルみたいなものではなくって、大皿にいろいろ盛り付けて。
まぁ、自作は、ブリの照り焼きと、卵やきくりいには、手抜きになっては来たけどね。
これも、両親の元気のバロメーター的なものかな。
とおもって、こちらは手を出さずにいるけど。
今年は肺がんと診断されても、今のところ実害がないっていうか、ステージ的にも早期というか、それほど危機感もないから、いつも通りの正月だった。
これからいろいろあるだろうから、最後にゆっくりと過ごす、みたいな感じだったのかな。
親父の気持ちはよくわからないけど、息子としては、そう思うことにした。