その日も、いつもと変わらない、なんでもない日だったんだけど。
うちの母親は、うちのマンションの近くに畑があるってことで、よくうちに野菜をもって寄ったりする。
あとは、子供の行事も、暇なんで何かあれば絶対に参加する。
決まってランチは子供連れて行く。
だいたい、近所のチェーン店のローテイション。
ステーキのあさくまか、スシローか、マリノか、サガミか、大体そんなところ。
今日も、保育園の参観日があって、それでランチを一緒にすることに。
サガミ、だったかな。
妻の母も来ての、5人で食事。まぁ、いつものことだね。
その日は平日の昼間で、まだ12時前のちょっと早めのランチにいったのに、珍しく待ちの状態。
といっても、2組くらいだから待つことにしたんだけど。
で、待っている最中に、急にうちの母親がいいだした。
「あのね、お父さんがね、、って、食事がまずくなるといけないから、後でね。」
おいおい、そこまで言っといて、それはなんだ!ってね。
まぁ、そういう時って、いい話があるわけがなくって。
とうとうボケはじめたか?
なんて思ったりもした。
「そこまでいっちゃったらいっしょだろ?いった何よ」
「あのね、がんが見つかったの」
「がん?がんって、どこに?」
あまり慌てたそぶりは見せていなかったと思う。
けど、久しぶりに血の気が引いたというか、ちょっと、え?っておもった。
うちの父方の家系、そいうの強いはずだと思ってたし。
といっても祖父が101歳まで元気だったっていうだけの理由なんだけど。
叔父叔母も、まだ健在だし、病気もろくにしてないみたいで、まぁとにかく、健康な家系なんだろうな、とぼんやり思てっただけ。
まさか、自分の父親ががんになるっていうのは、正直想定外で。
想定外といっても、今の時代二人に一人はがんになり、三人に一人はがんで亡くなる時代、というのは知っていたけど。
やっぱり、どこか他人事でしかなくって。
ちょっと沈黙しちゃったんだけど。
「で、どういう状況なの?」
「肺に2cmくらいの影があるって。あの人、ヘビースモーカーじゃない?だからおそらくまちがいないんじゃないかって」
「けど、よく見つかったな。」
「心臓の検査でレントゲン撮ってるでしょ。半年前にはなかったんだけどね。」
「半年なくってってことは、半年以内にそんなに大きくなったってこと?」
「そうみたい。一応その前撮ったレントゲンも確認したんだけど、確かにその画像にはなかったって。」
「まじでか。」
母方の身内はどうもがんが多いっていのが、ここ5年くらいでわかった。
祖父と祖母はがんではなく、これまた長生きして90歳超えても元気で、どっちかっていうと、認知症が先に来ちゃって。
施設に入らざるを得ず、最後は大往生って感じで。
なので、こちらも病気とは無塩だと思ってたんだけど、叔父叔母がここ3年くらいで相次いでがんで亡くなって。
もしかして、がん家系?っておもってしまうような状況になってたりする。
おじさんに至っては、一番若くしてあだったし、自分も結構いろいろ付き合いがあって、定年退職して、暇だったらうちの仕事てつだってくれない?って言おうとした矢先だった。
娘が3人で、奥さんとは離婚してて、自分を息子みたいな感じで世話もしてくれてたのものあって、ほんとに悲しかった。
祖父祖母がなくなった時は、良く生きたからいいじゃん!
ありがとう!って送れたけど、おじさんの死は、ちょっと受け入れるのに時間がかかった。
そしておばさんも早かったから、ちょっとそれもつらかった。
よく考えたら、たぶん、親族の中でも、自分は叔父叔母によくかまってもらったほうだと思う。
うちの兄きは、そういうのほとんどなかったから。
甘え上手だったっていうのかな。
おばさんが亡くなった時は、もちろん悲しかったけど、母親がちょっと心配だった。
だって、兄弟を相次いでなくすって、どういう気持ちなんだろうって。
昔の人なので、6人兄弟で、まだ他にも兄弟はいるのだけど、でもやっぱり、ショックだったんだろうなって。
兄弟で女は二人で。
家が近い二人が、短い間にって。
そんな時に、今度はうちの親父って。
ちょっと、それはないよねって、正直おもった。
「で、これからどうなるの?」
「まずは検査とかして、どうするか決めるしかないよね。私たちじゃわからないから、病院いって、先生のいうこと聞くしかないし」
「兄貴たちは知ってるの?」
「うん、これからいうところ。まだ、昨日知ったばっかりだから。」
「そうか。」
「でも、まだ早い段階だから、だいじょうぶなんじゃない?」
まぁ実際、よく見つかったな、という感じだったのは確か。
症状がでてからだと、もう手遅れというのが肺がんで。
今回は、10年以上前にやった心筋梗塞の定期的なチェックで発覚した。
もし、心筋梗塞を10年前にやってなかったら、たばこ自体もやめてなかっただろうし、検査もないから、見つかることもなかっただろうから、そういう意味ではラッキーだったのかもしれない。
一応、まだ2cmくらいで、ステージとしては1の状態。
その時点で見つかっていれば、今の医療なら予後はだいぶ良い状況だし、予後が悪い理由はたの病気を持っている、というのもある。
肺がん自体が70歳くらいからが多く、そのころになると他にも色々抱えているわけで。
うちの父親だって、そもそも心筋梗塞を患っていたわけで、その後はびっくりするくらい正常だって話だけど。
ただ、ほんとに、この肺がんのステージが1だったかというと、それはどうだったのか、今になっては疑わしかったんだけど。。。