親父の肺がんの進行速度が、思ったやり早かった。
年末の検査では、2cm程度だったのが、
年が明けて、ひと月たっだだけなのに、
4cmまで。
肺がんの摘出種ずつを行うにも、動脈瘤というリスクがある。
医者は、どちらを優先すべきともいわない。
いえないのかな。
家族で、本人の意思で、どちらを優先するか、決めてください、と。
何かアドバイスして、早くいってしまったら、訴えられる、と思ってるんだろうね。
何が嫌かって、そういうのにビビッて本心が言えない状況が悲しいってのもあります、
うちの家族が、そうやってクレーマー化するって思ってるところだな。
うちの家族っていうか、がん患者をもつ家族が。
信頼関係があって、どちになるかわからない、
でも、私はこう思う、
それくらいは言ったっていいんじゃないの?
町医者は言ったよ。
自分の過去の悔恨を、そういう人を、また見たくないからってね。
患者により距離が近いだけあって、そういう話ができるんだろうねっておもった。
で、自分の意見としては、
動脈瘤はまだすぐに破裂するというリスクは少ないし。
肺がんの成長からかんがえて、今後転移の可能性はどんどん広がる。
抗がん剤が打てない以上、切手直すしかない。
遅くなればなるほど、取り返しがつかなくなる。
そういったことから、肺がんを優先してもらいたいって伝えた。
本人はどう思ってるか、わからないんだけど。
不謹慎だけど、こうも思った。
もし、術中に動脈瘤が破裂したとして、そこは手術室なわけだし、そもそもそういうリスクがある前提で手術をするわけで、なんとかならないのかな、と。
あと、こうも考えた。
もし最悪の出来事が起きたとして、
当然、麻酔をかけるわけで。
そのまま起きないって、いったいどういう世界なんだろうか。
いったん意識を失って、そんまま戻ってこない世界って、いったい何だろうって。
結局、死ぬってそういうことなんだろうか、と。
全くの、ひとごとだ。
たまに自分で思うことがある。
自分は、サイコパスなんじゃないかって。
なにかとんでもないことが起こっても、どこか他人事。
冷徹ともとれるようなくらい、冷静でいられる。
こいつには感情がない、とまでもいう人間もいる。だから、甥っ子と遊んでる姿を見ると、驚くくらい。
身内が、だ。
そういった人間の方が、経営者に向いてるって聞いたことがあるから、それはそれで、良しとしているんだけど。
でも、たまに、自分が怖くなる時がある。
親父が死んだから、それは悲しい。
でも、その死にいったい何の意味があるのだろうか。
親父自身の精神は、いったいどうなるんだろうか。
いっそのこと、同じ死ぬにしても、がんと闘病して、長いこと苦しんで、より、
術中の動脈瘤の事故で、そのまま知らないうちに、のほうが、楽なんじゃないかって。
それは、本人も、だし、看病する、母親にとっても。
怖いでしょ。
ひいちゃうでしょう。
でもね、自分の親だから、そう思えるのかな、と思ったりする。
見てきた。
自分の母親が、じいさん、ばあさんや、続けてなくなったおじさん、おばさん、
うちの母親の兄弟にあたる人たちを、看病してたのを。
父親の母親、義理の母も、最後は結構看病にい付きっ切りで、何年かは泊まりでどっかに行くってことはできなかった。
大変じゃないか?
おじいさんを見ていた時なんか、自宅にほとんどいなかったから、
おかげで自分が晩飯をつくるはめになってた。
大学生のころだった。
はじめは、作り置きができてて、チンして食べるだけって感じで。
それが続くと、今度は材料が切っておいてある。
野菜とか、肉とか。一通りそろえて、切ってボールに分けてあるわけ。
あとは、フライパンで炒めな、みたいな。
最後は、材料が置いてあるだけだったね。
この材料で適当に作って食べなって。
あれは、きっと母親なりの教育だったんだなって、今にして思う。
うまいね。うまいこと、指導したよ。
この教育は、今現在父親が闘病するにあたって、実はものすごく役に立ったりしている。
何が役に立つか、わからないよね。
で、親父が、どっちをやるって回答したか。
肺がんを優先する、って。
町医者の意見も聞いた、家族の意見も聞いた。
まぁ、はじめっからわかってたけど、うちの親父は、人の言うことを聞くような人間じゃない。
サラリーマン時代からそうだった。
サラリーマンにありがちな、右向け右の人間では、そもそもない。
経営者やってりゃいいのに、っておもうような人間だった。
だから、きっと、情報は集めた。
その決定は、あくまでも親父自身がだしたものだ。
だから、どうなっても、後はできることをやるだけ。
それしかなった。
手術は、先生を信じるのみ。
その後は、抗がん剤がない分、いったい何ができるのか。
何より、肺がんの進行があまりにも早い。それが、ものすごい気になっていた。
当然のことではあるけど。
肺がんを優先する、そう医者に伝えた。
その後、手術を行うに必要な検査とか、いろいろ手続きが必要になるわけだが。
自分「で、手術はいつになるの?」
母親「2月末だって」
自分「はあ?またこれから一月後?おそくねーか?」
母親「ほんとだよ。また一月って。また病気が進んじゃうよね」
その嫌な想像しかできない時間軸は、やっぱり想像通りでしかなかった。